なぜ「褒めること」が大事なのか。
「褒めること」は「(存在を)認めること」だと気づいた
アスペルガーの傾向があると言われている息子。
ぱっと見、それはわからないし
機嫌が良いときしか見なければ
「ふつう」に見えると思う。
私自身「この子はふつうなのではないか?」
と思うこともあります。
「ふつうって何?」という話になりますが…
それはさておき。
先生にも本にも「褒めろ褒めろ」と言われます。
今までの人生でそんなに褒めることについて
考えたこともなく、育児で日々悩む中、
「そんなに褒められることなんてないよ」
「褒めるって何を褒めるの?」
とか思うことも多々あったわけですが
最近、自分の中で確信に変わってきたのは
「『褒めること』=『認めること』である」
ということ。
もしかしたら本にはどこかに書いてあったのかも。
書いてあっても特に響かず通り過ぎていたのかも。
「褒めるって認めるってことだったのか」と
しみじみ思うようになった最近、
「褒めて認めてあげよう」みたいなフレーズを
子供関連の読み物で見た気がします。
褒めるようになって気づいたこと①
子供のことをよく見ていないと褒められない。
子供に関心を持って、行動をよく観察しないと
頻繁に褒めることはできません。
比較して褒めるときは
人との比較は楽しいことではないので、
子供の過去と現在を比較して褒めます。
すると、過去の子供の様子を思い出さないと
褒められない。
たくさん褒めようと思うと
小さな変化も見逃せないなあと思うようになります。
自分のことをよく見てくれる人がいたら
誰だって嬉しいですよね。
褒めるようになって気づいたこと②
今の姿を褒めることは、存在を肯定すること。
「〇〇ができたから褒める」では追いつかない。
1時間ごとに目に見えて
新しいことができるようになるようなことはなく、
それでも何かしら褒めようと思うと、
現在の状態を「いいね」と褒めざるを得ない。
「ごはんが3口分、減ってるね」
⇒息子は食べるのが遅い
「いろんな色で塗れたね」
⇒絵はうまくない
「ちゃんとパンツ履いてるね」
⇒お風呂から出て裸でウロウロしていることが多い
褒めるというより、
もはや「今の状態いいね!」でしかないわけですが、
これがむしろ良いのではないかと気づいたのです。
「プライドが高くて、傷つきやすい」
「注意されると存在を否定されたと思い込んでしまう」
と以前先生に言われましたが、
おそらくこれは当たっていて、
たまに「どうせオレは何にもできないから」と
最近、口に出してすねるようになりました。
表現できなかった昔に比べ、
5歳になった今は表現できる分、
彼の精神状態はマシだと思います。
それでもまだまだ「できない」ことに
異常に苦しむ性格なので、
生きていくことが結構しんどいだろうと思うのです。
だから「今の状態いいね」と声がけして、
自分の存在を肯定されたと彼が実感できようにすることが
とても大事なのではないかと想像しています。
「褒めて伸ばす」ことがなぜ大事なのか、
最近、だいぶ理解できるようになった気がしています。